「生きる意味って、結局何なんだろう」——40代になって、ふとそう考える夜が増えていないでしょうか。
20~30代の頃は、目の前のことに追われていて、そんな問いが浮かぶ余裕すらなかったかもしれません。それが今になって、静かな部屋で、答えの出ない問いだけが頭に残る。仕事はある。生活も一応回っている。それなのに、「これでいいのか」「何のために続けているのか」という問いが、ふとした瞬間に顔を出す——40代・独身という時期には、そんな感覚を抱える方が少なくありません。
この記事は、その問いに「これが生きる意味です」という答えを出そうとはしません。むしろ、「その問い自体が重荷になっているならば、そこから降りるのも手である」という視点を提示します。
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「生きる意味がわからない」のは、あなたが劣っているからではない
先に結論をお伝えします。「生きる意味」を人生の一大テーマとして見つけ出さなければならない、という前提そのものが、実はそれほど古くからある常識ではありません。そして、心理学の研究でも、”意味を探す行為”と”実際に意味を見出すこと”は、関係がないことが示されています。つまり、探すのをやめても、何も失われないのです。
多くの人は、実は「生きる意味」を言語化できていない
同年代の既婚者や、子どものいる人を見て、「あの人たちには”生きる意味”が自明にあるのだろう」と感じることがあるかもしれません。しかし、家庭や子どもがあることと、”生きる意味”を明確に言語化できていることは、必ずしも同じではありません。多くの人は、あなたと同じように、はっきりした答えを持たないまま、日々を過ごしています。表に出さないだけで、同じ問いを抱えている人は、思っているより多いのです。
起きて、少し運動して、働いて、料理して、片付けて、本を読んで、寝る。その繰り返し。結婚し家族を持つこと、キャリアでの成功だけが、生きる意味を実感できる唯一の正解なんだろうか。同じように独身の人は、何のために生きているんだろう。明日また起きたいと思わせてくれるものって、何だろう?
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
「意味を探す」ことと「意味が見つかる」ことは、別の話
オランダ・エラスムス大学の研究者らが学術誌『Frontiers in Psychology』に発表した研究では、「特に若い世代において、人は人生の意味を探しているが、それは実際に意味を見出すこととは関係がないことが分かっている」と述べられています。関連する別の論文でも、意味を”探し続ける”行為そのものが、かえって「意味のなさ」の感覚と結びつきやすいという指摘があります。
「探せば見つかる」というのは、直感的には自然な発想に思えますが、少なくとも研究上、それを裏付ける根拠は強くありません。「見つけられていない自分」を責める前に、知っておいていただきたい事実です。
出典:Schippers, M. C., & Ziegler, N. (2019). “Life Crafting as a Way to Find Purpose and Meaning in Life.” Frontiers in Psychology, 10, Article 2778.(論文ページ)
なぜ40代になると、「生きる意味」を考えやすくなるのか
「なぜ自分は、今になってこんなことを考えているのだろう」——それには、この時期に起こりやすい、いくつかの背景があります。
目の前の目標を達成し終えて、“次”が見えなくなる時期
20〜30代には、就職、昇進、資格取得など、「わかりやすい目標」が次々とありました。それらを一通り達成、あるいは経験し終えた40代は、次に何を目指せばいいのかが、急にはっきりしなくなる時期でもあります。目標を失ったのではなく、これまでの目標が「与えられたもの」であったことに、ここで初めて気づく、という方が近いかもしれません。
44歳、部長職に就き年収も十分ある。でもある日気づいたんです。今まで必死に登ってきた階段が、他人が作った階段であることに。—40代になるまで「与えられた目標」を追いかけてきた。38歳で役員になった時は「成功した」と思った。今、ここに座って思うことは、ゲームをクリアしてしまったのか?次のステージはないのか?ということです。「自分は本当に何を望むのか」わからなくなりました。
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
独身であることで、「与えられる役割」が少ない
結婚や子育ては、意図しなくても「配偶者」「親」という役割と、日々の具体的な目的(家族のために稼ぐ、子どもを育てる)を与えてくれます。独身の生活では、そうした役割が自動的には与えられないため、目的を自分で定義する必要があります。これは独身であることが悪いという話ではなく、「役割から与えられる意味」に頼れない分、問いが自分の内側に向かいやすい、という構造の違いです。
41歳、独身の私には、無限の自由がある。けれど、「役割」がありません。姉には2人の子どもがいて、母親としての役割がある。私は父でもない、夫でもない。映画でいえば、「役」すら与えられない、通行人A、みたいなものです。台本すら渡せてもらえないのです。
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
“生きる意味”という問い自体が、実は比較的新しい発明品
若い頃、生きる意味とは何か、とノートの片隅に書き留めた経験がある人もいるのではないでしょうか。「今も昔も」というイメージを持たれがちですが、そうではありません。
「人生の目的を持つべき」という考え方は、実は近年広まったもの
「人生には目的があるべきだ」という感覚は、当たり前のもののように思えます。しかし、「人生の目的」が、心理学における独立した研究対象として本格的に扱われるようになったのは、比較的最近のことです。学術的な研究レビューによれば、精神科医ヴィクトール・フランクルが強制収容所での体験をもとに『夜と霧』を著した1946年以降、この概念への関心が高まり、研究者の間で明確な定義が定まったのは2000年代に入ってからだとされています。
出典:Templeton Foundation, “The Psychology of Purpose”
哲学や宗教の中では、人生の意味は昔から語られてきたテーマです。しかし、「一人ひとりが、自分だけの“人生の目的”を明確に持ち、それに向かって生きるべきだ」という、現代の自己啓発的な形の期待は、思っているより新しく、かつ特定の文化圏(特に個人の自己実現を重視する社会)で強調されてきた考え方だと言えます。「持てて当然」の常識ではなく、比較的最近広まった、一つの“流行の型”に近いのです。
問いを“降りる”ことは、人生を諦めることではない
ここで誤解のないようにお伝えしたいのですが、「生きる意味の呪縛から降りる」というのは、“生きること”そのものを軽んじることでは、まったくありません。降りるのは、“人生全体を貫く、壮大で明確な答えを出さなければならない”という、いわば宿題のような義務感です。その宿題を手放しても、日々の生活、大切な人との関係、目の前の小さな喜びは、何一つ失われません。
「生きる目的を見つけたい」「人生をもっと理解したい」そう思うのをやめたら、朝のコーヒーや社食のうどん、夜、一人で作る野菜炒めがすごくおいしく感じられるようになりました。「生きる意味」というものが「すぐそこにある小さな幸せ」を見えなくしていたことに気づいたんです。
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
大きな問いの代わりに、コントロールできることに目を向ける
「では、どうすればいいのか」——答えの出ない問いを前に、頭を抱える日々は苦痛でしかありません。生きる意味の呪縛から降りるための提案です。
「意味」ではなく「今日、何に時間を使うか」で考えてみる
「人生の意味」という単位は、大きすぎて扱いにくいものです。代わりに、「今日、何にエネルギーを使うか」「今週、何を優先するか」という、もっと小さな単位で考えてみてください。ベストセラー作家マーク・マンソンが著書の中で述べているように、幸福や納得感は、外部から与えられる成功の指標を追いかけることではなく、自分でコントロールできる価値観に絞ることから生まれるとされています。人生全体の意味を今すぐ確定させる必要はありません。今日という単位でなら、扱えることがあります。
たとえば、「人生の目的」を考える代わりに、「今日は誰かに一言連絡してみる」「今週末は、いつもと違う道を歩いてみる」といった、明日には結果が分かる小さな行動に置き換えてみてください。答えの出ない大きな問いを毎日抱え続けるより、こうした小さく完結する行動の方が、実際には気持ちを支えてくれることがあります。
結婚するとか、子どもを作るとかはコントロールできません。けれど、今夜のごはんを何にするかはコントロールできる。46歳、独身の私が「自分が生きている意味って何だろう…」とため息をついても、何かが変わるはずもない。ただ「今日はネットで見たあのレシピを再現してみよう」と思うことで変わることがある。「人生を諦めたかわいそうな人」と思う人もいるだろうけど、実際は真逆で、人生が動き出した感覚がしてるんです。
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
孤独を、仕事や忙しさで覆い隠していないか確認する
「人生の意味が分からない」という感覚を、忙しさで埋めようとしていないか、一度確認してみてください。仕事に打ち込むこと自体は悪いことではありませんが、それが「孤独や虚しさから目をそらすための唯一の手段」になっている場合、忙しさが止まった瞬間(休日、異動、退職など)に、その感覚が一気に押し寄せてくることがあります。仕事は孤独の“治療”にはならず、“仮のふた”にしかならないことがある、という視点は持っておいて損はありません。
私が「本当の人生がない」と気づいたのは、病気で2週間ほど仕事を休んだときでした。仕事に行かなくなっただけなのに、まるで暗い海に放り出されたような感覚になった。それまでの私は、「忙しい毎日」という大きな船に乗っていただけだったのだと思います。そこから降ろされると、自分には何も残っていない。友人もいない、趣味もない、役職以外の自分もない。そこで初めて、仕事は「人生」そのものというより、人生について考えずに済むための気晴らしになっていたのだと気づきました。
※「ひとりのレッスン」編集部に寄せられた声をもとにした内容です。掲載にあたっては、ご本人の許可をいただいています。
それでも、この問いが重すぎるときは
ここまでお伝えしてきたのは、多くの人が経験する、自然な範囲の問いへの向き合い方です。ただし、その重さが一線を越えている場合は、話が別です。
「哲学的な問い」と「専門的なサポートが必要な状態」の目安
「生きる意味がわからない」という感覚そのものは、病気ではありません。多くの人が、人生のどこかの時点で向き合う、自然な問いです。ただし、その感覚が「消えてしまいたい」「自分を傷つけたい」という気持ちと結びついている場合、あるいは気分の落ち込みや不眠が長く続き、日常生活に支障が出ている場合は、一人で抱え込まず、今すぐ専門家や相談窓口に頼ってください。それは弱さではなく、そのときのあなたに必要なサポートというだけのことです。
頼れる相談先を知っておく
「消えてしまいたい」「自分を傷つけたい」という気持ちが少しでもある場合は、遠慮せず、すぐに下記の窓口にご連絡ください。そこまでではなくても、話を聞いてほしいと感じたときは、いつでも利用して構いません。
一人で抱え込まなくていい場所があります
つらさが続いていて、一人では整理しきれないと感じたときには、誰かに話してみるという選択肢があります。下記の窓口にすぐにご連絡ください。
- ■ こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト
電話:0120-565-455(全国共通、平日17〜22時、土日10〜16時)
公式サイト:https://kokoro.mhlw.go.jp/ - ■ よりそいホットライン(24時間対応)
電話:0120-279-338
公式サイト:https://www.since2011.net/yorisoi/
問いを手放した先にあるもの
「生きる意味」という問いに、無理に答えを出す必要はありません。その問い自体が、比較的新しく、かつ万人に義務付けられたものではないということを、ここまでお伝えしてきました。
意味は、探して見つかるものというより、日々の小さな選択や関わりの中に、後からついてくるもののようです。今日、何に時間を使うか。それだけを、まず考えてみてください。大きな答えを出せていなくても、今日という一日は、ちゃんと続けていけます。
(執筆・編集 | 「ひとりのレッスン」編集部)
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