借金900万、離婚、46歳で廃業。元店主が「キッチン補助」として再出発した理由。父としての再生と、小さな幸せの掴み方。

2026年、3月初旬。都内の小さな公民館のキッチンで、俊夫さんは料理教室の片付けに追われていました。かつて自分の店を持ち、数十人のスタッフに指示を出していた彼が、いま、参加者が使い終えたボウルを一心不乱に磨いています。

900万円の負債、経営していた店の廃業、そして家族との別れ。40代後半で突きつけられたあまりに過酷な「現実」を前に、彼は逃げるのではなく、あえて現場の「補助」という道を選びました。大きな成功を手放した先に、彼が見つけた「評価されない時間の豊かさ」とは。止まっていた時計を、自らの手で動かし始めた男の独白です。


【インタビュー】借金900万、離婚、店を畳んで。49歳、元経営者が「皿洗い」で見つけた本当の自尊心

俊夫さん(仮名・49歳)
39歳で念願の居酒屋を開業。一時は繁盛するも、パンデミックと2号店失敗により46歳で廃業。900万円の負債を抱え離婚。現在はキッチン補助や料理教室アシスタントとして働きながら、一歩ずつ返済を続けている。

「何者か」になりたかった。居酒屋店主としての絶頂と隠れた見栄

聞き手(以下、編): 今日はお疲れ様です。今はこうして、複数の現場を掛け持ちされているんですよね。

俊夫さん: はい。週に数日のキッチン補助、週に一度の料理教室アシスタント、あとは不定期のケータリング。正直、収入は以前の数分の一です。でも、不思議と今の方が、一日の終わりに「いい日だったな」と思えるんですよ。

編: 39歳で居酒屋を開業された時、俊夫さんは人生の絶頂にいたのではないでしょうか。

俊夫さん: そうですね。自分の店を持つことが、男としての「上がり」だと思っていました。最初は常連さんもついて、売上が伸びていくのが楽しくて仕方なかった。でも、今思えば「できる人間だと思われたい」という見栄だけで走っていた気がします。自分の実力以上に、背伸びをしていました。


パンデミックと2号店の失敗。焦りが招いた致命的な「賭け」

順調だった経営に暗雲が立ち込めたのは、あのパンデミックでした。

編: 業態を切り替えるなど、かなり踏ん張られたと伺っています。

俊夫さん: 必死でした。でも、夜の宴会が消え、お座敷が荷物置き場になっていくのを見るのは、自分の存在を否定されているようでした。テイクアウトを始めても、利益なんてほとんど残らない。そこで僕は、あろうことか「2号店」という賭けに出たんです。

編: なぜ、その苦しい時期に2号店だったのでしょうか。

俊夫さん: 焦りです。「できない自分」を認めたくなかった。もう一度大きな花火を打ち上げれば、すべてが解決すると思い込んでしまった。典型的な、男の悪いパターンですね。結果、2号店が致命傷になり、46歳で廃業。手元に残ったのは900万円の借金でした。

編: 900万。一人の個人が背負うには、あまりに重い数字です。

俊夫さん: 銀行からの電話、連帯保証……夜、布団に入っても心臓の音がうるさくて眠れない。そんな状態が続けば、家庭が保てるはずもありません。妻とは喧嘩というより、冷え切った沈黙が続いて、自然消滅するように離婚が決まりました。娘が6歳の時でした。


「父親」という肩書きさえ失った日。鎧が剥がれ落ちた弁護士の言葉

編: 奥様と娘さんは、北海道へ帰られたんですよね。

俊夫さん: ええ。最後の日、家の荷物がすべてなくなったガランとした部屋で、娘が「パパ、またね」と言った時の顔が忘れられません。お金も、居場所も、父親という肩書きさえも失った。あの時は本当に、自分が生きている価値なんて一円もないと思っていました。

編: そこから、どうやって再生への一歩を踏み出せたのですか?

俊夫さん: 結局、お腹が空いたんです(笑)。どんなに絶望しても、明日は来る。まずは専門家に泣きついて任意整理をしました。その過程で、弁護士さんに言われたんです。「俊夫さん、あなたはもう経営者じゃない。ただの俊夫さんとして生きていいんですよ」と。その時、長年着ていた重く苦しい鎧が、バラバラと崩れ落ちたような気がしました。


「補助」という潔さ。称賛されない仕事に宿る新しい誇り

編: 経営者だった俊夫さんが、現場の「補助」に回る。葛藤はなかったですか。

俊夫さん: 最初はありましたよ。若いバイトの子に指示されるのは、胸の奥がチリチリした。でも、ある日気づいたんです。自分が完璧に野菜を刻んだり、道具をピカピカにしたりすることで、メインシェフが料理に集中できる。その「小さな貢献」が、今の僕にはちょうどいい。

編: 「できる人間でなくてもいい」、ということですね。

俊夫さん: そう。以前は「やり手の店主」でいようとして自滅した。でも今は、皿洗いのプロ、道具の準備のプロ。誰からも称賛されないけれど、確実に現場を支えている。その手応えだけで、十分なんです。自分を大きく見せる必要がないというのは、こんなに楽なことなのかと。


北海道の娘へ届ける、一皿の料理という名の「誠実な便り」

編: 離れて暮らす娘さんとは、今年で10歳になりますね。どのような交流を?

俊夫さん: はい。年に数回会うのと、あとは電話ですね。最初は申し訳なさで合わせる顔がなかったんですが、最近は「今の自分」を正直に見せるようにしています。

編: 具体的には、どんなお話をされるんですか。

俊夫さん: 「パパ、今日はこんな料理を作ったよ」と写真を送ります。ケータリングの試作や、一人分の夕飯を丁寧に作って。かつては豪華なプレゼントが愛だと思っていましたが、今は、一皿の料理に込める「元気でやってるよ」というメッセージが、僕なりの父親としての役割なんです。娘が大人になった時、「お父さんは失敗したけれど、逃げずに皿を洗って返済を続けた」と言える背中を見せたい。それが今の僕の、唯一の野心です。


完璧じゃなくていい。どん底から「靴を揃える」ように始める再生

編: 同じように、挫折や喪失を経験して「自分はもうダメだ」と思っている同世代の男性たちへ、伝えたいことはありますか。

俊夫さん: 49歳。まだ人生の後半戦の入り口です。借金があっても、家族と離れても、あなたは「無価値」じゃない。まずは、ひとりで抱え込まずに「降参」すること。そして、今の自分が提供できる、ごく小さな役割を見つけてください。

俊夫さん: 完璧じゃなくていい。できる人間じゃなくていい。ただ、今日一日を誠実に過ごし、誰かのために少しだけ手や足を動かす。その積み重ねの先にしか、本当の再生はないと、僕は信じています。まずは、今夜、自分を労う温かいものを食べてください。


編集部後記

俊夫さんの物語は、「大きな成功」を求める私たちの価値観を静かに揺さぶります。900万円の借金、失った店、離れた家族。それは一見、負債の記録に見えますが、彼が今、キッチンで見せる細やかな所作や、娘へ送る一枚の写真には、かつての「成功者」時代にはなかった深い輝きが宿っています。

「できる人間でなくてもいい」。その言葉の裏にあるのは、自分を諦めることではなく、等身大の自分を愛し、小さな役割を全うするという「覚悟」でした。あなたの再生も、きっと特別な何かではなく、目の前の皿を磨くような、小さな一歩から始まります。

(編集部/ひとりのレッスン)


◆ 俊夫さんが教えてくれた、心を整えるための「夜の3分間」

  1. 「道具を整えた」(身の回りの一つを丁寧にする)
  2. 「誰かに感謝を伝えた」(小さな役割を全うした自分を認める)
  3. 「大切な人を想った」(見栄ではなく、愛をベースに明日を考える)

どんなに小さなことでもいい。今日できたことを3つだけ数えて眠る。あなたの「ひとりのレッスン」は、そこから始まります。


※お送りいただいたメッセージは、編集部にて大切に拝見いたします。

ひとりのレッスン

ひとりのレッスン編集部

「ひとり」は弱さではない。 けれど、弱さでもいい。 人生の午後を歩む、40代・50代のあなたへ。

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